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画像はこちら様「ベルリンで行われた飯館村・前田区長のスピーチ」から拝借

 「誰にも言わないでくれ、村長に口止めされているんだ」

やっと飯館村が「妊婦や乳幼児を村外避難させる方針を固めた」のが4月6日になってから。
この報を聞いた人たちは、ほっと胸をなでおろしたことでしょう。

事実、ツイッターや掲示板、ブログには「妊婦さん、赤ちゃんがやっと避難できる、よかったー」としみじみ書き込んでいる人を多く見かけました。
その前に、、ネット上では「国や自治体の決定を待っていたら大変なことになる、早く逃げて」という多数の訴えが上がっていました。

どの原発立地の自治体も、そうですが、特に飯館村には当初から不可解なことが多すぎるのです。
福島の自治体の首長たちは徹底的に隠し事をしてきたのです。

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ツイッターの中を流れ流されて、偶然、このツイートを見つけたのは3日ほど前だったと思います。

この手の情報には、意外にガセが少なく、新たな真実が発掘される糸口になることが多いのです。
本物を匂わせる情報の欠片さえあれば、その奥に隠されている多くの真実にたどり着くことができるのです。

ただし、こうした種類の情報の裏を取るのは、行幸を頼むようなところがあります。
しかし、意外に早く見つかりました。

村民に線量を低く見せるために、モニタリングポストの周りだけ、高圧洗浄機で除染した

こちらの記事をお読みください。

福島県飯館村の酪農家長谷川健一さんの講演を聞いてきました。


この中記事の中に、
また飯館でジャーナリストや、今中助教が測っている数値と、モニタリングポストの数値が違いすぎる。おかしいと思うとモニタリングポストの周りだけくっきり高圧洗浄機で除染した跡があったというのです。真偽は確かめられませんが恐ろしいことです。

という一節があります。

20111225-2.jpg

これは村役場前に設置された線量を示す電光掲示板。(こちら様から)  引用:yomiuri online
とても不思議な写真です。だから印象に残っていました。

なぜ、この“記念写真”に不自然さを感じてしまうかというと、「金」の臭いがするからです。

「東京のシステム会社が無償で放射線量測定器を設置した」そうです。

こんな機器などなければ、あまりに線量が高いので、自主避難する人たちも、もっと増えたでしょうに。
この機器は、結果として、低い線量を村人たちに信じ込ませるためだけに活用されたのです。

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これが正常な考え方です。
飯館村の村長の表情との間には、大きなギャップを感じてしまいます。

福島県飯館村前田区、長谷川区長さんのスピーチ


これは11月27日、ベルリンで行われた「福島県の人びとによる報告」と題する講演会で、福島県飯館村前田区区長である長谷川健一氏のスピーチ内容とのこと。

読みやすいように、全文、転載させていただきます。


長谷川さんのスピーチ内容:

私は、福島第一原発事故のヒバクシャです。

私の住む飯館村にプルトニウムが降ったのです。

放射能は目に見えませんが、もし見えるならば、私の体は今、ドイツの街を輝かせるクリスマスの飾りのように光っていることでしょう。

事故が起こってすぐ、私は原発がおかしい、何かが起こっているのではと強く思いました。
そして、新聞に三号機の爆発が発表された3月14日、私は慌てて村役場に飛んで行きました。

「原発はどうなっているのですか」と問いただすと、「大変なことが起きている。空間放射線量が40マイクロシーベルトを超えている」という説明を受けました。

驚いた私が部屋を出ようとすると、役場の人はこう言うのです。
「誰にも言わないでくれ。村長に口止めされているんだ」。

しかし、私はすぐさま部落に帰り、言うなと口止めされたことなど気にせずに部落の人に危険を知らせました。

翌朝、3月15日の朝、6時半に 地区の人が続々と集まって来ました。

そのとき、外は雨が降っていて、そのうち雪に変わりました。

後でわかったことですが、ちょうどその頃、飯館村の 放射線量は100マイクロシーベルトを超えていたのです。
それを知らせてくれたのはジャーナリストの方です。
大勢のジャーナリストが村に来ていたのです。

私は、地区の住民に言いました。
「外にはなるべく出るな。どうしても出なければならないのなら、マスクをしろ。肌を出すな。外から帰ったら玄関で服を脱ぎ、風呂に入るかシャワーを浴びるかしろ。畑の野菜を食べてはいけない。換気扇を回すな」と。

そのとき、北西の風が吹いていました。
飯館村は原発からの放射能の風をまともに受けてしまったのです。

私は、ジャーナリストをかき集め、訴えました。

「飯館村を避難対象にしてくれ。どうか、それを報道してくれ」。

しかし、それはかないませんでした。
避難を希望する者がいるなら避難してもよいが、村は避難対象にならないと言われたのです。
ですから、一部の人しか避難しませんでした。

これは公式に発表された村の放射線量です。
3月15日の午前6時20分のところを見て下さい。
44.7マイクロシーベルト/時と書いてあり ます。

ジャーナリストから知らせてもらった数値は100マイクロシーベルト以上です。
なんという違いでしょう。公の発表は正しい数値ではないのです。嘘の報道をしているのです。


そして、国や県から、専門家達が次々に村にやって来ました。

みんな口々に、大丈夫だ、安心しろと言います。

しかし、その少し後に、今度は別 の大学の先生のチームがやって来て、村中の放射線量を測りました。
先生は「おそろしい。こんなところに住んでいてはいけない。私達が集めたこのデータを村長のところへ持って行ってください。避難しなければなりません」と言いました。

しかし、村長は「このデータは公表しないでくれ!」と叫んだのです。

村長は 村を守ろうとしました。村をゴーストタウンにしたくなかったのです。

そのまま二ヶ月半もの時間が経過しました。
避難せずに住み続け、子ども達を被曝させてしまいました。

その後、村は計画避難区域に指定されま したが、その前日の4月10日には国の方から偉い学者がやって来て、安全だと言っていたのです。

それなのに、翌日の11日になると、「危険だ!避難しろ」 と突然言われ、村民は怒りました。

私は酪農家です。
この写真は私が事故後に牛乳を捨てているところです。
毎日、牛乳を捨てました。

村が避難の対象となったとき、牛は連れて 行ってはいけないと言われました。
私達は泣く泣く酪農を諦めることになりました。

この酪農家の奥さんは、牛が乗ったトラックを「ごめんね。ごめんね」と言 いながら追いかけました。

そしてこの若者は、東京生まれで、どうしても酪農がやりたくて村へ移住して来た人です。
飯館で10年間酪農をやって、ようやく軌 道に乗ったとき、それを諦めなければならなくなりました。
彼はそれが悲しくて泣いているのです。

飯館村では、村人がみんなで力を合わせ、良い村作りに励んで来ました。日本一美しい村に推薦され、認められた村です。その村が放射能に汚染されました。

そして、ある日、私がもっとも恐れていたことが起こりました。

相馬市の同じ酪農家の友人が自殺したのです。

この写真に写っているのは友人が亡くなる前に壁に書き残した言葉です。
「原発さえなければ」と書いてあります。

「2011年6月10日 1時30分 大変お世話になりました。私の限度を超えました。ごめんなさい。原発さえなければと思います。残った酪農家は原発に負けずに頑張って下さい。仕事をする気力を無くしました」。

時期を同じくして、隣の地区の102歳のおじいちゃんも自殺しました。南相馬市の93歳のおばあちゃんも「墓へ避難します」と書き残して自殺しました。

こういうことが次々に起きたのです。これからも起こるでしょう。

これは7月下旬の私の自宅の雨どいの線量です。
27,62マイクロシーベルト/時と出ています。

現在、村民はみな避難していますが、我々は24時間体制でパトロールしています。
雑草が伸びきって、温室の屋根を突き抜けています。これが今の飯館村の姿です。

私は、

国が原子力を推進して来たのだから、国は事故の対策をきちんと取ることができるのだろうと思っていました。
ところが、事故が起こっ て、今頃、どうやって除染をしたらよいかの実験をやっているのです。


私達村民は、村に戻れるのかどうかもわからない状態です。

でもただ一つ、はっきり言えることは、私は子どもや孫を飯館村へは絶対に返さないということです。

飯館村の面積の70%は山です。
家の周りや農地をいくら除染しても、山の除染はできませんから、山から放射能が移動して来るのです。

我々は今から何年か後に、村を捨てる決断をしなければならないかもしれません。

可哀想なのは子ども達です。
子ども達は飯館村というステッカーを一生背負って生きて行かなければなりません。

広島や長崎の被爆者とおなじように、差別を受けることになるでしょう。
そんな差別の起きない社会を私達はなんとしてでも作っていかなければなりません。

今回このようにしてドイツを周り、私はドイツは素晴らしい国だと思いました。

なぜなら、福島の原発事故の危険をきちんと見極め、ドイツは脱原発を決めたからです。
それにひきかえ日本という国は、こんな事故が起こってもなおかつ、原発を再稼働するという。それどころか、原発を輸出しようとすらしているのです。

そんなことは絶対に阻止しなければなりません。

これからは、日本人も声を大きくし、戦っていかなければならないのだと思います。

「誰にも言わないでくれ。村長に口止めされているんだ」。

こう言った村役場の人間は何の痛痒も感じないのでしょうか。
この人は、本当に公務員なのでしょうか。

私は、「飯館村の不可解」を初期の頃に感じていました。
しかし、今、そのときの私の心配は妄想ではなかったことが分かりました。

1号機水素爆発-住民には知らせず逃げた町議会の人々

この記事は、吉田前(福島第一原発)所長が、3月11日の原発人災事故当日から緊急事態であることを自治体に知らせていたことを書いたものです。

そして3月12日の午前の0時を過ぎてから、第10条通報に切り替え、福島県庁、その他市町村、もちろん原発立地の町村宛てにFAXを送っていた事実を書いたものです。何通も、何回も。

各市町村の首長たちは、原発が水素爆発を起こす可能性が高いことを、ずっと前に知っていたのです。
隠蔽は、何もSPEEDIだけではありませんでした。

むしろ、これら各自治体の首長たちが、取った手段のほうが犯罪的です。
しかし、この愚か者たちは、自分がやっていることが殺人的な行為であることさえ自覚できなかったのでしょう。

これは飯館村の村長だけでなく、どの自治体の首長も、同じことをやって住民の避難を遅らせたのです。

もっとも悪質なのは、町や村の役場には吉田所長の第10条通報が来ていたのに、住民に知らせないどころか、議会の町議たちだけ逃げてしまった原発立地の自治体があったのです。

1号機水素爆発-住民には知らせず逃げた町議会の人々


この記事には、どこのどなたから「議会の連中だけ逃亡」したという情報があったのか書かれていません。
初期の段階では放射能の危険性について警告をするだけで、さまざまな妨害が入っていたのです。

当ブログにさえ妨害が入っていたのですから、福島ではなおさらでしょう。
だから、情報提供者については、あらゆる連想につながる一切のヒントも書かないでしょう、永遠に。

健康被害を防ぐために事実を知らせようとすると、これほど注意深くしなければならない事態が正常ですか?
どう考えても、私は狂っていると思います。




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